
ちょっと、台湾に行ってました。
予約していたのは、震災のずっと前。
知り合いの旅行会社の方によると、キャンセルがものすごくて会社が大丈夫なんだろうかという状況のようです。
我が家は特に問題もなく、役にもたっておらず、東京にいなければかえって節電には貢献するかなと思ったりもして、キャンセルは全く考えず。
(節電自体、東京のためのもので、被災地の方には関係ないですけど)
そして、キャンセルをしなかった理由の1つが、台湾への感謝の気持ち。
テレビではほとんど報道されないですが、今回の震災で台湾の支援はすごいです。
今回なんらかの支援をしてくれたのは134ヶ国だそうですが(この多さもありがたいですね)、その中でもアメリカはちょっと別格として、たぶん台湾の支援はその次なんじゃないかな。
そして、タイもすごいです。
私の好きな台湾&タイが、本当に温かい様々な支援をしてくれていて、本当に嬉しいし感謝です。
現地でもお礼を言いたいし、報道が少ない分、もっとたくさんの日本人にも知ってもらいたいなと思っています。
というわけで、台湾からの支援を紹介したいと思います。
■震災後の台湾入国
まずは、現在、台湾入国時に行われている放射能検査について紹介します。
台湾は支援も迅速でしたが、日本からの人・物に対する放射能検査も最初に導入しました。
行く前は、ひっかかるんじゃないかと若干心配しましたけど、結果的には全く問題なし。
ちなみに、我が家は洗濯物も外に干しているし、水道水(浄水はしてる)も飲んでました。
↑飛行機を降りて、入国審査に行く途中にこのような看板があります。
そして、こんなのでわかるの? と思うような細い枠の中を通るだけ。
私の前後でも引っかかっている人は誰もいませんでした。
それから、日本出国時ですが、成田空港が人であふれてすごいと聞いていたけれど、始発のスカイライナーで到着した時間帯は全然混んでませんでした。
日本出国ラッシュはひと段落したんでしょうか。
チャイナエアラインの飛行機自体は、ほぼ満席でした。
■台北で見かけた支援の輪
では、台北で見かけた震災への応援、支援について紹介します。
↑ファミリーマートやハイライフでは義援金の呼びかけポスターが。
機械で簡単にできますってことみたい。
↑こちらはセブンイレブン。
↑永康街にある有名なかき氷屋さん「永康15」は、3日間の営業収入を寄付してくれました。
ここのマンゴかき氷は台湾で1番とも言われていて、日本人客も多いです。
今の時期はマンゴがないので、イチゴシャーベットかき氷を食べました。
記事冒頭のメッセージも同じく永康街で見かけたものです。
↑太平洋そごう百貨店では入口に義援金の窓口が。
係の人に「ありがとうございます」と言ったら、「大丈夫」と言われました。
↑その横には日本をイメージして、人口の桜並木。
↑桜の形の紙にメッセージを書いて貼るコーナーもあります。(クリックすると拡大します)
「日本加油」というメッセージがたくさん。加油は頑張れってことです。
写真には撮っていませんが、他にも色々見かけました。
■台湾からの支援はこんなに色々
今回の東日本大震災に対する、台湾の主な支援について紹介します。
TVでは本当に報道がないですが、ネットではかなり話題なのでご存知の方も多いかも。
震災直後、真っ先に支援を表明したのも実は台湾です。
3月11日地震発生1時間後には、台湾政府から約2500万円の援助と救援隊の派遣を申し入れます。
被害の大きさから、翌日には義援金を2億8000万円に拡大。
11日には李登輝元総統が日本語で日本国民にメッセージを出します。
私もその日に読みましたけど、震災直後なだけに感動しました。(日本李登輝友の会のバックナンバーまたはPDF版を参照ください)
一方、民間の援助もすごいです。
中田英寿やジュディオングも参加したチャリティイベントは即日20億円が集まり、その後40億円以上に。
エバー航空等を経営するエバーグリーン・グループ(長栄集団)の張栄発総裁は個人で約10億円、鴻海グループ(鴻海集団)の郭台銘総裁も約5億円をそれぞれ赤十字に寄付しました。
台湾の実質的な外交機関である(財)交流協会によると、4月1日現在、台湾からの寄付金の総額は102億円にものぼります。
約2300万人という人口を考えると、この額は驚きです。
とても有難い反面、申し訳ない気持ちにもなってしまいます。
■支援の理由?
台湾がこれだけの支援をしてくれている理由の一つが1999年9月21日の台湾大震災の恩を返したいということがあるそうです。
この時、中国政府は台湾への義援金は中国を通せとか様々な妨害をしたそうですが、その中で真っ先に救援隊を送ったのが日本でした。(小渕恵三内閣時)
一方、この時の李登輝大統領の震災への迅速な対応も素晴しいです。
もし今、日本のリーダーが彼だったら・・・全然違っていると思います。
しかし、今の日本政府は真っ先に申し出のあった台湾の救援隊派遣を(おそらくは中国への配慮から)いったんは断ります。
そして、やはり台湾の人達は(本来の)日本人にも似た義理堅く親切で温かい人達なんじゃないかと思います。
先日の四大陸の時も、旅行をしていてもそう思うことがよくあります。
東アジア諸国では非難轟々の戦前の日本統治ですが、台湾の約85%をしめる戦前から台湾に住む本省人は、戦後、蒋介石とともに中国大陸からやってきた外省人による統治と比べ、評価をしてくれています。(主に、教育やインフラ面)
私の親戚は戦前台湾のインフラ整備に従事していましたが、台湾の人達は今でも日本にいる子孫に感謝の意を表してくれます。
できればそんなことは起こらない方がいいけれど、もし将来、台湾が困ったことになった時には、今回の恩返しをしたいです。
そして、これから先もタイだけでなく台湾にも旅行に行くつもりです。
実際、台湾はお手軽だし、治安、食事、買い物、観光と総合的にもすごくお勧めなんですよね。
多謝、台湾! 本当にありがとう。
次回は、タイからの支援を紹介したいと思います。
それでは、また。
トラックバックURL
この記事へのコメント
こんにちは、一号性徒です
初めてお邪魔させて戴きます、何時もパタヤ・ホテル情報を参考にさせて貰ってます。
>私の親戚は戦前台湾のインフラ整備に従事していましたが、台湾の人達は今でも日本にいる子孫に感謝の意を表してくれます
間違ってたらごめんなさい、タイ好き!さんの御親戚は、鳥山頭ダムを始めとする嘉南大圳を造られた八田與一様ですか?
私も台灣に旅行した時はガイドさんからちらっとその話でましたが、その当時は詳しく知りませんでした、司馬遼太郎氏の街道を行くやをや小林よしのり氏「台湾論」から知りました。
戦前に日本は台湾と朝鮮を併合しましたが、ファランがアフリカやアジアで行った、過酷な収奪ではなく資金を投入しインフラを整え日本国内と同じ様に治世を行っていた事を戦後の教育では全く教えられていません、中国と違い日本と日本人をリスペクトしてくれる台湾国と台湾人に感謝しています。
凄いお名前ですね。コメントの内容とのギャップもすごい。
ご推察の通りです。といっても私は子孫ではなく、遠い親戚といった感じです。
戦後しばらくは台湾の方々とは全く交渉もなかったので、こんなに長く忘れずにいてくれたことは本当に驚いたみたいです。
台湾の人のそういう所は私も大好きです。
いつか、資料館と銅像を見に行きたいと思ってるんですが、不便なところなのでいつになるかわかりません。